こどものじょうはあめみっか
『子供の情は雨三日』

― 茨城県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
提供 フジパン株式会社

 むかし、あるところにお寺があったと。
 その寺に毎日欠かさずお参りに来る婆さんがおった。雨の日も晴れの日も熱心に拝んで行く。が、拝みおえると、必ずウ-ウ-と泣きながら帰るのだと。
 お寺の和尚さん、気になってならない。とうとうある日、婆さんに声をかけた。
 「お婆さんは雨が降っても陽(ひ)が照ってもお参りされとりますが、お帰りにはいつも泣いとりますな。どんなことをお願いされとるのか、さしつかえなかったら話してみませんか」
 「はえ、実はお天気が気になってならんのですじゃ」
 「ほお、といいますと」 

 子供の情は雨三日挿絵:かわさき えり
  「はえ、私には二人の息子がありまして、一人は傘屋(かさや)、一人は下駄屋(げたや)を商(あきな)っておりますだ」
 「ほお、それは結構ですな」
 「とんでもない。その日売れた銭(ぜに)でその日を過すような貧乏小商(びんぼうこあきない)ですだ」
 「あ、いや、なるほど、お天気に関係ありそうですなぁ」 

 「はえ、雨が降ったら、傘屋の息子は傘が売れて、今日は嬶(かかあ)にも子供にも米買うて食わせることが出来る。ところが今度(こんだ)、下駄屋の息子はぬれるときに草履(ぞうり)を買う人がいねえから、今日は米も買えねえで嬶も子供もひもじい思いをしてる」
 「あ、なるほど」
 「お天気の日はというと、反対に下駄屋の息子は草履が売れて米を買えるけんど、傘屋の息子は傘が売れなくて米が買えんから飯も食われん。それで雨が降っても陽が照っても泣けてくるんだ」
 

 「はあ、いやいや、それは困ったもんです。親というのは、子供のことを思わない日はただの一日も無いですからなあ。 半日降って、半日照ってくれれば一番良さそうだが、…いや、そうでしたか、お天気をな、気になさっておられましたか。ふんふん。しかしながらお婆さん、一生懸命に信心(しんじん)されても、こればっかりはどうも無駄(むだ)のような気がするのじゃが」
 「そりゃ、どうしてだ」
 「人間ちゅうのは気まぐれでしてな、お天気さんも気まぐれで、よう似とりますのじゃ」
 「どうゆうことですか」
 「照ってる日が嫌(きら)いな人はまずいないですな。それでも照りが続くと、『いやぁ、おしめりが欲しいね』という。いくらそうは言っても、雨が三日も続くと『困った天気だ』とぐちをこぼしますわなあ」
 「はえ」 

 「親子の情(じょう)もですな、例えば、子供がションベンタレであろうと、糞(くそ)ったれであろうと、子供をあきたという親はめったにおらん。それなのに、親が三日も寝込んでみなされ、『いや、俺げの年寄りは小便たれて寝とる。早く死んでくれたらよかっぺ。いつまで生きてんだか』って、親を飽き出すんだ。どうですか、気まぐれ具合がよう似とりましょう。
 それだからして、お天気次第で、片方の息子が食われんようになるって、いっくらお寺参りをしても無駄なことだから、今日でおしまいにした方がええよ。
 降るも照るもお天道さんの采配(さいはい)。二人の息子さんの商もなるようにしかならん。この世は諸行無常(しょぎょうむじょう)だからして」
 

 子供の情は雨三日挿絵:かわさき えり
 「なるほどそうだ。七十の上(うえ)になって、こっちの子供が食われるように、そっちの子供が食われるように、一生懸命お寺参りしたって、なるほど和尚さんの言わるる通りだ。それではいろいろ長い間通(かよ)わせていただいてありがとうございましたが、お寺参りは今日限りでよしましょう」
 こういうたと。

 おしまい ちゃんちゃん。
 

  

茨城県
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