しらぬいのまつ
『不知火の松』

― 神奈川県 ―
語り 井上 瑤
再話 萩坂 昇
整理・加筆 六渡 邦昭
提供 フジパン株式会社

 むかし、神奈川県(かながわけん)の大師河原(だいしがわら)というところに、お父と娘の二人暮(く)らしの漁師(りょうし)が住んでおった。
 お父は毎朝、木っ葉みたいな小っちゃな舟をこいで漁(りょう)に出掛け、夜遅(おそ)うなってから戻って来とった。
 真っ暗(まっくら)な沖では、どっちが浜か判らんようになる。
 だから、娘は夜になると、浜辺の松の木の下で、タイマツを振(ふ)ってお父に知らせる。
 お父は、そのポチッと光る灯(あか)りを目当てに舟をすすませるのじゃ。 

 挿絵:かわさき えり
 
 「こんなに遅くまで大変じゃったなあ」
 「いいえ、お父こそ寒(さむ)かったやろ。温かい汁を作っておいたで、早う帰って休んで下され。おらが後始末(あとしまつ)をしておくで。」
 こんな毎日じゃった。 

 ある年の冬のこと。
 朝のうちは晴れていた空が、夕方から急にどんよりし、風が出て、とうとう吹雪(ふぶき)になってしまった。
 沖で魚をとっていたお父は、
 「早う帰らねば」
と、“ろ”を力いっぱいこいだが、木っ葉みたいな舟は大波をかぶり、逆に北風にあおられて、沖へ沖へと流されて行くばかり。
 「おおーい、おおーい」
 お父はしきりに助けを求めておったが、その叫(さけ)び声も吹雪にかき消されて浜には届かん。
 とうとう暗い海の底へ吸い込まれて終った。
 浜では、娘が袂(たもと)で吹雪をよけながらタイマツをかざしておった。
 沖からは悪魔(あくま)のような波が、ほえるように浜へ押し寄せてくる。
 降りしきる雪に、雪女のようになった娘は、それでもタイマツを振り続けていたが、ついに油がつきてしもうた。
 

 次の朝は、あたり一面銀世界(ぎんせかい)で、それは静かなもんじゃった。
 寄せては返す波も、いつもと変わらん。
 村人が、まぶしそうに浜辺へ出て来て何やら見つけた。
 それは、松の木の下で、娘がタイマツをしっかりと握(にぎ)りしめたまま冷たくなっておった姿じゃった。
 そして浜辺には、傷だらけになった漁師が打ち上げられておった。
 村人は、変わり果てた父と娘の姿を哀(あわ)れんで、二人を、松の木の根元にねんごろに葬(ほうむ)ってやった。
 するとな、夜になると、その松から不思議(ふしぎ)な光が出るようになったのじゃ。 「こりゃぁ、きっと、あの父娘(おやこ)が、わしたちが沖から無事(ぶじ)に浜へ帰れるよう光を出しているに違(ちが)いねえ」
 村人たちはこう信じて、今まで名前の無かった浜辺の松を「不知火(しらぬい)の松」と呼ぶようになった。 

 漁師たちは、暗い沖からこの光を見て、村のあかりを知り、無事に帰って来たそうな。 

 挿絵:かわさき えり

 
 

神奈川県
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