あおのどうもん
『青の洞門』

― 大分県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
提供 フジパン株式会社

 豊後(ぶんご)の国(くに)、今の大分県下毛郡本耶馬溪町(おおいたけんしもげぐんほんやばけいまち)にある青(あお)の洞門(どうもん)ね、これにまつわる話をしましょうか。
 山国川(やまくにがわ)に臨(いど)む断崖(だんがい)、耶馬溪の競秀峰(きょうしゅうほう)は、遠い遠い昔から交通の難所として知られておりました。
 この絶壁の中腹(ちゅうふく)に、青の鎖戸渡(くさりどわた)しがありました。目もくらむ岩壁(がんぺき)に沿(そ)ってつながれた丸太の上を、鎖に伝って渡るしかない、そりゃ危ないもんでした。樋田(ひだ)から青へ行くには、どうしても通らなければならない道でしたから、足を踏みはずして命を落とした人馬(じんば)は、数知(かずし)れんほどだったと聞いております。 

 青の洞門挿絵:かわさき えり
 その競秀峰の苔(こけ)むした岩壁(がんぺき)に、いつごろからか、一人の僧が槌(つち)を振(ふ)るうようになりました。
 僧の名は禅海(ぜんかい)といいました。俗名を福原市九郎(ふくはらいちくろう)といい、かって江戸で、中川四郎兵衛(なかがわしろべえ)という武士の庸人(ようじん)として仕(つか)える身でしたが、あるとき、ささいなことが原因(もと)で主人を殺(あや)めてしまいまして、その罪(つみ)ほろぼしに、僧形(そうぎょう)となり名を禅海と改めて、諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の旅に出ていたのでした。 

 四国八十八か所を巡り、九州、豊後の耶馬溪の樋田にたどりついた禅海は、この絶壁の鎖戸渡しを見て雷にうたれたようにその場にたたずみました。
 これこそが求めていた道だと確信し、この山裾(やますそ)に洞門を掘る一大誓願(いちだいせいがん)を立てましたそうです。

 享保(きょうほ)二十年に最初の槌を振るって以来、禅海は昼夜なしに洞門を掘り続けました。初めのうちは禅海を気違(きちが)い扱いしておりました村人たちも、一年たち、二年たちするうちに、禅海の労苦(ろうく)をねぎらう者も出てきましてねえ。
 それからまた五年、十年がたち、いつしか二十五年という、気の遠くなるような月日が流れていました。
 禅海は、ただひたすら岩にノミを当て、槌でたたく毎日でした。 

 その頃、一人の若者が禅海を捜して青の鎖戸渡しまでやってきました。過ぎし日、禅海が殺めた中川四郎兵衛の長男、実之助(じつのすけ)でした。
 父の仇を討つため、この地へやって来たのでした。掘られた洞門から土を運んで出てきた男に、りんと声をかけました。
 「禅海か、俗名を福原市九郎に相違あるまい」
 禅海は、まぶしげにその若者を見ながら、
 「いかにも、してそこもとは」
と、問いかえしましたら、
 「それがしは、中川四郎兵衛の一子(いっし)、実之助と申す。父の仇を討ちに来た」
と名のりましたそうです。
 「おお、中川さまの御子息か。いかにも禅海、そこもとの父を殺めた市九郎に相違ありませぬ。じゃが何とぞ、お待ち下され」
 「この期(ご)に及んで命乞いか」
 怒りで気負いたった実之助に、禅海は静かに言うた。
 「命乞いではありませぬ。ただ禅海が罪ほろぼしに掘っておる、この洞門が貫通するまで、仇討ちはお待ちいただくわけにはいくまいか」 

 実之助は禅海が掘っているこの洞門が、今では、この村の人たちのみならず、ここを通る旅人たちの期待にまでなっているのを識(し)らないではありませんでした。目の前の、伸び放題の髪の毛に、破れた衣をまとっている、とても人間とは思えぬ姿に、いつしか、心を打たれてしまいました。
 その日から、禅海と並んでノミと槌を振う実之助の姿が村人たちの目に見られるようになりました。仇を討つ者と討たれる者とは、お互い目的は違いながらも、ただ黙々と槌を振るうのでした。
 そして五年後、ついに青の洞門は完成しました。禅海が堀り始めて三十年目のその日、思わず抱き合う二人の目に、汗と涙が光っておりました。
 「実之助殿、そなたのおかげで、ようやく誓願が成就(じょうじゅ)致しました。禅海、いや、福原市九郎、もう思い残すことはござりませぬ。約束じゃ、お斬りなされ」
 静かに首をさしのべる禅海、
 実之助は、その禅海の手を固く握りしめると、そのまま江戸へ帰って行きましたそうです。 

 今、この青の洞門は舗装され、広くなっておりますわね。でも壁面には、禅海の槌の跡もところどころに残っておりまして、その苦労のほどがしのばれるようになっております。

 むかしかっぽ米ン団子。 
青の洞門挿絵:かわさき えり
 

※この民話は、大正8年に発表された菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」が基になっています。
大正12年尋常小学校国語読本巻12に同小説が教材として取り上げられたことで青の洞門は一躍有名になりましたが、同時に同小説の内容が史実であるという誤った認識も広がりました。

 
 

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