― 石川県 ―
再話 六渡 邦昭
語り 井上 瑤
提供 フジパン株式会社
昔、あるところに兄弟があったと。
兄は病気で目が見えなくなり、食べ物を探しに行けなくなったと。
弟は、一人で食べ物を探してきては、兄にいいところを食べさせ、自分はまずいところばかり食べていたと。
ある冬の寒い日、弟は食べ物を探しに山へ行ったと。
そしたら、わずかばかりの山芋(やまいも)が見つかった。冬のこととて、芋はしぼんで小さなものだったと。
弟は、山芋を煮(に)て、自分は芋の蔓首(つるくび)のところばかりを食べ、兄には美味(おい)しそうな芋を食べさせたと。
ところが兄は、
「こんなしなびた芋を食わせやがって。お前は俺が目が見えないことを良(い)いことに、自分はいいところばかり食って、おれにはこんなしなびたものしかくれない」
というて、弟を責めたと。
挿絵:福本隆男
弟は、
「そんなことはないよ。今は冬で、なかなか食べものを探すのもたいへんなんだ。春になったら、きっとうまいものを探してくるから、そんなことを言わないで、辛抱(しんぼう)しておくれよ」
というと、
「嘘つくな。お前は自分さえよこればいいやつだ」
というて、なおも責めたてたと。弟は、
「そんなに疑(うたが)うのなら、俺(おれ)の腹(はら)を断(た)ち割って見てみればいい」
というた。兄は、
「ようし」
というて、弟の腹を切り裂(さ)いたそうな。
そのとたんに、見えなかった兄の目がみえるようになったと。
見えるようになった目で、切り裂いた弟の腹の中を見ると、芋のヘタと芋のツルばかりであったと。
兄は弟を疑ったのを後悔したと。
「すまなかった。すまなかった。」
いうて、詫(わ)びたと。
泣いて泣いて、とうとう時鳥(ほととぎす)になったと。
それで時鳥は今でも、
「弟恋し、芋掘って食わそ、
弟恋し、芋掘って煮て食わそ」
と、毎日八千八声(はっせんはちこえ)ずつ啼(な)くのだと。そうして、もし、人がその途中で口まねをすると、例え、八千七声までいっても、また始めから八千八声啼き返さなければならないのだと。
挿絵:福本隆男
時鳥が木に止まっているときに見ると、口が赤いのも、この啼き過ぎのため、血を吐(は)いているからなんだと。
それきりちょうのなんば味噌(みそ) ぺろっとなめたら辛(から)かった。
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むかし、窪川(くぼかわ)の万六(まんろく)といえば、土佐のお城下から西では誰一人として知らぬ者はない程のどくれであったと。ある日、あるとき。旦那(だんな)が所用(しょよう)があって、高知(こうち)のお城下まで行くことになったそうな。
「時鳥の兄弟」のみんなの声
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